作詩家もどき、下尾友信(シモオトモノブ)のブログです。

パーソナルTwitter
tomofromkameもフォローしてやってください。

ブログの更新が滞ってる分までつぶやいてますwww






そんで『詩集 EGO』と『詩集 やりなおし』の2冊が新風舎より発売中です。

こちらもよろしくお願い致しますm(_ _)m



ちなみにfacebookもやってますので

よろしくお願い致しますm(_ _)m




2014年01月23日

[テレビドラマレビュー] 「明日、ママがいない」第二話

録画しておいた「明日、ママがいない」第二話を観ました。
またもや不覚にも感動し過ぎているので、まだ客観的な感想には至れませんが・・・。

今回はパチと彼が抱き締めて離さない彼の実母が残した香りのするシャンプーボトルを巡る物語。
彼を受け入れようとした里親候補は、特に妻、美智子は、
パチを招いたことによってまるで絵に描いたような過剰な問題を浮き彫りにする。
まだ幼いゆえにといった決めつけでいいのだろうかどうかわからないが、
彼が自身で抱えている問題についてどう向き合っているのか、
それは彼がシャンプーボトルを手放さないこと、
そしてポストに強い信頼を寄せていることでしか手がかりがない。
あまりにも手がかりが少ないとたぶん受け入れ側は不足分を自分の思い込みで補ってしまうのだと思う。
だから美智子は自身が信じる過剰な責任感を果たそうと(それで自分を満たそうと)あんなことになってしまった。
その描かれ方は物語として自然な流れで、だけど「世間離れ」な姿を描いている。

まだ第二話までしか明らかになっていないので早計かもしれないが、
やはり描かれるのは大人だ。
大人が子どもにどう接するのか、したいなのか、することによって何をしたいのか。
このドラマでも「世間離れ」した「過剰な演出」で描かれた大人が色々と登場するのだろう。

これまでブログ更新を怠っていた僕までもがこのように取り上げてしまうように、
表現が過剰であればあるほど、
受け手側はそれについての賛否を問われることを強制させられるのではないかと思う。
それは自分自身なりの意見、考え方を持ち、感想や評価を示せる大人たちだけでなく、
まだその術を得ていくスタートラインに立っているのかいないのかの子どもたちにまでつきつけてくる。

僕はまだまだこのドラマに対する「否」の意見、記事を読み切れていないとは思うが、
そうした意見の多くはこのドラマの衝撃を交わす術を持たず、
あるいは用いる暇も与えられずに受け入れてしまった子どもたちの姿を報告している。
すでに子ども同士で作られる社会の中でイジメは生じており、
それだけでなく常にこの問題とともに生きて来た高校生等若者たちにも、
フラッシュバック等の苦痛を与えてしまっているという。

当事者でないどころか、この問題について詳しく知らない傍観者の立場の僕としてはつい、
こんな時こそ、大人がこの問題にどう向き合い、子どもたちにどう接してあげられるか問われてるでしょ。
なーんていい加減なことを思ってしまう。

でも、このように描き出されるまでもなく、常にこの問題との対峙を突きつけられ、
目の前の子どもたちに、彼らの人権を守るために何ができるのか、
関係者、従事者の方々は最善をつくして努力されている。
なのにその方々の努力はこのドラマによって粉々につぶされてしまうのだろうか。
だからこその抗議声明なのだろうか。

少なくとも第一話、二話で描かれているポストたちは、
親から捨てられたのではなく自ら捨てる覚悟としてペンネームを作りそれを受け入れ、
人権を「守ってもらう」立場を捨て逆転させ、自身で自身の人権を守ろうとしている。
そんなこと、ポストたちに本当に貫き通せることなのだろうか。
それをめぐり、
自分自身なりの意見、考え方を持ち、感想や評価を示せる大人たちは何を思いどう行動するのか。

第一話、二話を観る限りではこのドラマは原則一話完結。
結末には明るい兆しが垣間見れます。
公式サイトのキャラクタープロフを見て受けた印象よりも案外早い段階から、
無表情で子どもたちと里親を繋ぐ児童相談所職員の叶は自らの過去と胸中を語り始めました。
そして、限りある行動でしか思いを示せなかったパチの物語から一転、
次回は来年施設から出て行かなければならない17歳のオツボネをめぐる物語です。

こうして段階を踏みながらポストら施設の子どもたち、
そして里親候補や佐々木施設長ら大人たちが変化していく中で、
視聴者はあるいは作り手側も何を見いだすのか見いだせないのか。

即刻放送中止で強引に逃げ出さない限り、
このドラマはもう後戻りは出来ないと思います。

また長文になっちゃった・・・。


【甘口辛口】慈恵病院は放送中止を申し入れる前に、ドラマの展開を見て判断してもいいのでは:イザ!
http://www.iza.ne.jp/kiji/column/news/140119/clm14011911060003-n1.html

日本テレビ「明日、ママがいない」:中止要請ではなくスタッフと子供達への愛を込めて:表現は人を傷つける(碓井 真史) - 個人 - Yahoo!ニュース
http://bylines.news.yahoo.co.jp/usuimafumi/20140123-00031883/

放送続行の芦田愛菜ドラマ ついに“犠牲者” (東スポWeb) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140123-00000000-tospoweb-ent

はるかぜちゃん、「明日、ママがいない」批判に反論……「『観る力不足』による誤解」 (RBB TODAY) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140122-00000043-rbb-ent

日テレ「明日、ママがいない」の炎上はやむなしと女性作家 (NEWS ポストセブン) - Yahoo!ニュース
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140122-00000019-pseven-ent

医療法人聖粒会 滋恵病院
http://jikei-hp.or.jp/
posted by ともクン at 20:47| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | テレビドラマレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月20日

[テレビドラマレビュー] 「明日、ママがいない」第一話

無料見逃し配信で今話題の「明日、ママがいない」第一話を観ました。
不覚にも感動し過ぎているので、まだ客観的な感想には至れませんが・・・。

テレビドラマ、フィクションを通してメッセージを発信する時、
まずはそのメッセージに目を向けてもらうためのトルネードとして、
「わかりやすい」、「(感動へと反動させていくための)悲劇、残酷さ」は武器なんだと思います。
もう16年も前になるので、当時の感覚まで思い出せませんが、
「聖者の行進」イズムは継承されているなと・・・。

既に賛否両論のこの騒動を受けてからの視聴だったので、
なおさら期待を持って深読みし過ぎているのかもしれませんが、
問題の施設長、佐々木友則の惨い仕打ちには、
その裏が透けて見えるような気がします。

個人的な感覚として「聖者の行進」イズムは、
何よりも惨い仕打ち、状況における対立を視聴者は何もわからぬまま見せつけられ、
そして個々のキャラクターがそれぞれ持つここに至る背景が、
視聴者にだけ少しずつ明かされ、
やがて最終話において結論、仮説に辿り着いて感動に結びつくモノだと思います。

だから最後まで結末を楽しみに見守っていきたいところですが、
このような騒動が起きなければこのドラマを観ていなかったでしょうし、
あらためてフィクションで社会を描くとはどういうことなのかと突きつけられる思いです。

「出る杭は打たれる」とはよくいいますが、
それは自分にとって「出て欲しくない杭」を打つだけ。
一本だけ飛び出た杭は注目を浴び、
その切っ先に傷つかない大衆が
それを巡ってわんやかんやいうのをいうのを楽しむ。
それもまた「楽しみを提供する」「エンターテインメント」だと思うのです。

もちろんメッセージの発信のためなら誰かを傷つけていいとは思いませんよ。
でも「想い」を発信するということは必ず誰かを傷つけること。
僕はひとり勝手にそう解釈して問題意識として持ち続けています。
いることはいるんです。
posted by ともクン at 16:59| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | テレビドラマレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする